日曜の夕方、母の通院の予定を書いた手帳の横で、森川直美さん(仮・52歳)は通帳を開きます。貯蓄は780万円。「2,000万円まで、まだこんなに遠い」。けれど、自分の老後資金は、2,000万円との差ではなく、退職後の収入と支出の差、期間、臨時支出から考えます。まずは一つの条件だけ変えて、どの数字を確かめる必要があるか見てみましょう。
物価と月の収支を固定し、毎月赤字になる場合は、①月の支出−手取り収入、②その差×12×年数+臨時支出、③②と退職時に用意できる資金との差、の順に整理します。収入が変わる期間は分けて計算します。
直美さんと、条件整理の案内役・橘との会話は架空の例です。直美さんは食品会社の経理で働き、住宅ローンは残り9年、退職金は未確認。以下の年金額や支出は説明用の仮置きです。貯蓄額や住まいが違っても、自分の項目に替えて考えられます。
自分の数字を整理する順番
2,000万円は、あなたの必要額を示す数字ではない
2019年の金融審議会市場ワーキング・グループの報告書では、夫65歳以上・妻60歳以上の夫婦のみの無職世帯の平均収支を基にした試算が話題になりました。誰もが同じ額を準備すべきだという制度上の基準ではありません。
金融庁の同年9月の審議会議事録でも、この説明が一律の不足額であるかのような誤解や不安を招いた経緯が述べられています。過去の世帯平均を、今の単身者の年金額や家賃へそのまま移すことはできません。
直美さん:「では、780万円あれば足りる可能性もあるんですか」
橘:「金額だけでは分かりません。毎月いくら使い、いつから何の収入が入るかを、先に並べましょう」
同じ貯蓄額でも、住居費と収入が続く期間で使う速さは変わります。自分の条件を一枚にし、未確認の数字を見つけましょう。

収入・支出・資産を、同じ単位で並べる
資料は通帳、直近の家計、年金の見込みが分かるものから始めます。年額と月額、額面と手取りを混ぜると、計算自体が正しくても結果を読み違えます。最初に「月額・手取り」と欄の上に書いておきましょう。
| 分ける欄 | 入れるもの | 混ぜないもの |
|---|---|---|
| 月の収入 | 手取りの年金、継続する仕事などの収入 | 一度だけ受け取る退職金 |
| 月の支出 | 生活費、住居費、定期的な負担 | すでに別枠にした臨時支出 |
| 今の対象資産 | この計画に使う預貯金など | 自宅の評価額、退職前に使う予定のお金 |
| 臨時支出 | 修繕、住み替え、家電などの別枠予算 | 月の積立と二重に数えた同じ費用 |
年金は「表示額」から「家計に使う額」へ
公的年金の見込みは、ねんきんネットなどで自分の加入記録と条件を確認します。画面の数字が税・社会保険料を引く前か後かを確かめ、年額なら12で割って月額にそろえます。
厚生労働省の公的年金シミュレーターも、働き方などの条件を変えて考える入口になります。ただし、簡易試算と実際の支給額は同じとは限りません。税・社会保険料の概算にも前提があります。表示額をそのまま確定した手取りとして扱わないでください。
まだ受給していない直美さんは、見込みを確認した画面を用意し、「何歳まで働く条件か」「何歳から受け取る額か」を年金相談の質問にします。税・保険料は別に確認します。公式試算の税・保険料の前提も読み、地域や収入条件が自分と異なる部分をメモしてください。
受給中なら、年金振込通知書の支払額・控除額・振込額を確認します。1回の振込額を月額と取り違えず、対象期間で割ります。住民税や介護保険料などの特別徴収額は市区町村へ「どの通知の何期分か」を質問できます。別払いの負担も漏らさず整理します。
この記事のツールは税額を計算しません。手取りが未確認なら額面を確定値として入れず、仮置きだと記録して比較だけに使います。将来の控除額は今の通知から確定できず、その結果だけで支出や契約を決めないようにします。

生活費は、退職後も残る支出から考える
食費や通信費を現在の家計から拾い、なくなる通勤費と増えそうな在宅費用を分けます。税・社会保険料を引いた収入を使うなら、同じ天引き額を支出へもう一度足さないことも大切です。別途払う負担は支出へ含めます。
年払いの保険や固定資産税などは、年間額を12で割って月の支出に入れる方法があります。その場合、同じ費用を臨時支出にも入れないよう、どちらに置いたか印を付けます。月々の引落しだけを集めると、年払いが抜けやすくなります。

直美さんの仮置きでは、月1万円で結果が変わる
直美さん:「退職金が分からないと、計算はできませんよね」
橘:「未確認と書いて、いったん0円のケースを作れます。0円だと決まったわけではなく、確認後に入れ直すための空き場所です」
ここでは、52歳から65歳まで月3万円を積み立てると仮定します。今の780万円に、3万円×12か月×13年=468万円を足すと、65歳時点の資金は1,248万円です。途中の取り崩しや運用益、退職金は入れていません。
65歳から95歳になるまでの30年間は、手取り年金を月14万円、住居費を除く生活費を14万円、住居費を6万円と置きます。臨時支出200万円を別枠に取り分け、物価上昇率0%で比べます。
| 変える条件 | 退職時に必要な資金の計算値 | 95歳時点の残高 |
|---|---|---|
| 月の収入14万円、支出20万円 | 2,360万円 | −1,112万円 |
| 生活費だけ月1万円多くする | 2,720万円 | −1,472万円 |
| その他収入だけ月1万円多くする | 2,000万円 | −752万円 |
最初の行は、月の差額6万円×12か月×30年=2,160万円に、臨時支出200万円を加えたものです。月1万円の違いは、物価を固定した30年間では360万円になります。「少しだから」と省かず、続く期間まで見ると影響を比べられます。
その他収入を増やした行は、毎月1万円が30年間続くという強い仮定です。仕事が途中で終わる場合には使えません。「働けば解決する」と読むのではなく、何歳まで、どのくらい続けられるかを別に確認する必要があります。

自分の数字へ替えて、条件を一つずつ比べる
退職と年金開始は同じ時期ですか。異なる人は、先に二つの期間に分ける例へ進んでください。このツールは退職時から年金が入り、その他収入も終わりまで同額で続く前提です。
まず「架空の入力例を入れる」を押し、生活費だけを1万円変えて再計算すると、表の違いを確かめられます。その後、自分の数字に替えます。名前・年金番号・口座番号は不要です。未確認の項目は仮置きと記録してください。
金額は万円で入力します。生活費・住居費は今の価格で考え、物価上昇は現在から退職までの年数にも反映します。年金開始が退職と異なる場合は、下の二期間の例を使ってください。
空欄は0円とみなしません。手取りの収入と、今の価格で考えた退職後の支出を入力します。臨時支出は退職時点の予算です。
この入力条件での計算結果
| 条件 | 退職時に必要な資金の計算値 | 計画終了時の残高 |
|---|
比較は毎月の収入・支出の差を確認するための例です。支出削減や就労が実行できると約束するものではありません。
年ごとの収支を見る
| 期間 | 収入 | 支出 | 期末残高 |
|---|
計算式と省略しているもの
- 退職時の資金=今の対象資産+月の積立×12×退職までの年数+退職金。
- 年の支出=(月の生活費+住居費)×12×(1+物価上昇率)現在からの年数。
- 年の収入=(月の手取り年金+その他収入)×12。収入は名目額を固定し、年金改定を予測しません。
- 臨時支出の予算は退職時に先に取り分けます。退職時点の金額で入力し、毎月の支出と二重に数えません。
- 投資収益、税額の自動計算、借入利息、退職前の臨時支出は含めません。退職前に使う予定の資金は対象資産から先に除いてください。
- 1年単位の簡易計算なので、月ごとの入出金のずれや資金不足の正確な日付は分かりません。
この試算部品は入力値を送信・保存しません。再読み込みすると消えます。
計算にはJavaScriptが必要です。上の式を使い、年の収入と支出の差を紙に並べても比較できます。
60歳退職・65歳年金開始なら、資金を二段階で引き継ぐ
ここは直美さんとは別の計算例です。60歳の退職時に1,500万円あり、生活費と住居費の合計が月20万円、65歳までは収入0円、以後は手取り年金月14万円とします。物価上昇・臨時支出・運用益は0として、紙に次の二行を書きます。
| 期間 | 期間中の取り崩し | 次へ渡す残高 |
|---|---|---|
| 60歳から65歳までの5年 | 20万円×12×5=1,200万円 | 1,500−1,200=300万円 |
| 65歳から95歳までの30年 | (20−14)万円×12×30=2,160万円 | 300−2,160=−1,860万円 |
後半に持ち込めるのは1,500万円ではなく、前半を過ごした後の300万円です。各行に自分の収入・支出・年数を置き、前の行の残高を次へ引き継ぎます。途中で仕事が終わるなら、その時点でも行を分けます。臨時支出も該当期間で一度だけ差し引きます。
この二期間の計算は上のツールでは自動化していません。年金のない5年間にも年金を入れる誤用を避け、紙の表で確認してください。終了年齢は寿命の予測ではなく、どこまで比べるかという区切りです。
物価だけを動かす試算は、未来の予言ではない
生活費と住居費は今の価格で入力し、現在から退職までの物価上昇も含めます。退職初年度の月支出は「今の月支出×(1+年率)の退職までの年数乗」です。52歳から65歳まで年2%と仮定すると、20万円×(1.02の13乗)≒25.9万円となります。
翌年はさらに1.02倍にし、その年の月支出×12を年の支出とします。一方、年金やその他収入は名目額を固定します。年金改定や家賃の契約条件を予測せず、支出が増えた場合の影響を見る試算です。年2%も予測値ではありません。
投資収益を当然の収入として加えることもしません。税額、借入利息、退職前の臨時支出は自動計算の対象外です。臨時支出は退職時に取り分ける扱いなので、実際の支払時期とは違います。年単位の表から資金が尽きる日付までは分かりません。
ローンが終わっても、住居費は空欄にしない
直美さんの住宅ローンは残り9年。予定どおりなら65歳より前に完済します。しかし、マンションの管理費、修繕積立金、固定資産税、設備の交換費まで消えるわけではありません。月6万円という仮置きは、それらの実額を確認して替える必要があります。
直美さん:「家の支払いが終わるから、住居費は0でいいと思っていました」
橘:「ローン以外の引落しを一度並べてみましょう。完済後も残るものと、数年に一度のものが見えてきます」
賃貸なら、家賃だけでなく更新や住み替えの費用も考えます。持ち家と賃貸のどちらが得かをこの表だけで決めず、暮らしを維持するために何を払い続けるかを確認します。住み替えで下げられる家賃には、引越しの初期費用が伴うこともあります。

医療・介護の不安を、根拠のない大きな額にしない
将来の病気や介護にかかる費用を、今から正確に決めることはできません。通院、家の改修、交通費、家族を手伝うための支出など、気になる項目を別に書き、実績・見積り・仮置きのどれなのかを分けます。
公的制度があっても、何でも自己負担がなくなるとは限りません。必要になった際の自治体・保険者の案内を確認し、金額が不明な部分は「未確認」と残します。不安を消すためだけに一括契約や金融商品の購入へ急がないことも、家計を守る手順です。

マイナスが出たら、まず入力の根拠を戻って見る
仮置きの計算で−1,112万円と出ても、今日その額を用意するよう求められているわけではありません。退職時点で用意する資金と、30年間の支出・収入の前提を置いた結果です。どの入力が変わると結果が動くかを確かめます。
- 額面と手取り:年金から引かれる負担を見落としていないか。
- 月額と年額:年払いを落としたり、12倍を二度行ったりしていないか。
- 資産の使い道:退職前の修繕や家族支援に使うお金まで含めていないか。
- 続く期間:仕事の収入や積立が、想定した年数続くか。
プラスの結果も同じです。臨時支出が抜けていれば、その分だけ残高が多く見えます。値動きする資産を含めたときも、今の評価額で将来売れるとは限りません。自宅の評価額は、住み続けながらそのまま毎月使える現金ではありません。

今週は、三つの「未確認」を減らす
直美さんは、2,000万円との差を通帳の余白に書くのをやめます。代わりに、退職金の確認先、ローン完済後も残る住居費、年金見込みの前提を三行にしました。数字が揃う前に積立額だけを増やすと、今の生活や母を支える余裕を削りすぎるかもしれません。

- 年金の見込額と、受け取り始める時期の前提を確認する。
- 管理費などの住居費と、年払い・臨時支出を分ける。
- 勤務先の退職金の資料と確認先を調べる。
入力内容は再読み込みで消えるため、手元に「住居費/月6万円/10月3日の仮置き/管理費通知を確認/来週更新」のように、項目・金額と単位・確認日・根拠・次の確認を残します。退職や転居、家族の介護で条件が変わったときにも更新しましょう。今日の一歩は、自分の表でいちばん根拠が弱い数字を一つ確かめることです。
