日曜の夜、葵さん(仮)は不動産会社の申込画面で手を止めた。入力欄には「預貯金額」。証券アプリにあるのは152万円。銀行口座には28万円。新しい部屋の初期費用は、1か月後に34万円必要だった。
数字だけなら、資産は180万円ある。けれど、契約金を払えば普通預金は6万円足りない。
画面を閉じて、証券アプリを開いた。毎月7万円の積立設定。「減額」の文字に触れ、やめた。ここで下げたら、もう元に戻せない気がした。
翌朝、予定どおり7万円が引き落とされた。昼休みには、7週間後にある友人の結婚式の招待状が届いた。交通費、ご祝儀、服。返信するより先に、電卓を開いてしまう。
「180万円あるのに、お金がないって、どういうことなんだろう」

昼休みに見つけた「NISA貧乏」という言葉
同僚がスマートフォンを見せて言った。「これ、今の葵じゃない?」。見出しには「NISA貧乏」とあった。
葵さんは少し笑った。でも、原因がNISAだと言われると違和感もあった。非課税制度を使ったこと自体が悪いわけではない。問題は、近く使うお金まで「将来のため」と同じ箱に入れていたことだった。
日本証券業協会の2024年度調査では、NISA口座開設者・申込意向者の利用目的は老後資金だけでなく、生活費、旅行・レジャー、住宅購入など複数に分かれています。20〜30代では、口座開設を通じて「少額から始められる」と感じた人も多くいました。ただし、こうした調査は「若い人の多くがNISAで生活苦になった」ことを示すものではありません。
葵さんのお金を、使う時期で3つに分ける
| 箱 | 葵さんの場合 | 考え方 |
|---|---|---|
| 今日使えるお金 | 普通預金28万円 | 家賃、生活費、直近の支払いに使える現金 |
| 1年以内に使うお金 | 引越し34万円、結婚式の費用 | 金額と期限が見えている予定資金 |
| 当面使わないお金 | NISA口座152万円 | 値下がりを受け入れ、長期保有できる部分 |
NISA口座の商品は売却できます。しかし、必要な時期に値下がりしている可能性があり、売却注文から出金までの日数も商品や金融機関で異なります。「売れる」と「今日の支払いに使える」は同じではありません。

その積立額、今の暮らしから借りていない?
MONEY TIMELINE
積立と予定支出の時間差を見る
葵さんの数値を初期値にしています。自分の数字に置き換えて試せます。運用益・値下がり・税金は計算に含めません。積立額の正解を示すものではなく、現金と支出期限のずれを確認する簡易試算です。入力内容は保存・送信されません。
葵さんの初期値では、生活費を払ったあとに残るのは月8万5,000円。そこから7万円を積み立てると、現金として増やせるのは月1万5,000円だった。普通預金28万円だけでは、1か月後の34万円に届かない。
積立を続けるか、減らすか、いったん止めるか。どれが正しいかをツールは決めない。その代わり、それぞれで「予定額に届くまで何か月か」「支払期限時点でいくら残るか」を同じ条件で並べる。
「投資に回せる額」と「今月は回してよい額」は違う
葵さんは、月の手取り24万円から、家賃と食費、通信費、奨学金の返済など15万5,000円を払うと、残りは8万5,000円だと書き出しました。だから7万円の積立はできる。そう思っていました。でも残りの1万5,000円では、引っ越しの追加費用、急な通院、実家へ帰る交通費のどれか一つが重なっただけで、普通預金を増やせません。
ここで見るのは「積立率が何%か」だけではありません。予定支出を払ったあと、次の給料日までどの口座から暮らすのか。積立を続けたまま普通預金が減るなら、それは投資を続ける力ではなく、未来の自分から今月を借りている状態かもしれません。逆に、予定が少ない月に積立額を戻すことは、焦って取り返すことではありません。毎月の余白ができたかを確認する、次の選択です。

売却、減額、いったん停止。三つは「負け方」ではない
証券アプリで売却ボタンを見たとき、葵さんは「ここまで積み立てたのに」と思いました。けれど、売るかどうかは精神力の試験ではありません。支払日までに現金が足りるか、売却注文から出金までに何日かかるか、その間に値段がどう動くか、そして売ったあとに生活の予備費までなくならないかを、先に並べます。NISA口座の商品は売却できても、「すぐに、必要な金額で出金できる」とは限りません。
積立額を下げるのは、運用中の商品を売ることとは別です。設定変更の締切日と反映月は金融機関や商品で異なるため、葵さんは変更画面を閉じる前に、いつの買付から額が変わるかをメモしました。一度止めた積立も、生活が整った月に再開できます。ただし「再開する」と決めただけでは、日々の出費に押し流されます。新しい家賃が二度引き落とされた土曜に残高を見る、と日付まで決めるほうが現実的でした。
引っ越し費用は、見積書の金額だけでは終わらない
- 契約時に払う初期費用と、引っ越し業者・家具・家電の支払日
- 旧居と新居で一時的に重なる家賃、電気・ガス・ネット回線の開始費用
- 仕事を休む日、友人へのお礼、食事を外で済ませる数日分
- 引っ越し後の一か月に、残したい普通預金の額
葵さんは34万円の見積もりの横に、引っ越し直後の食費と、カーテンを買い替えるかもしれない分を小さく足しました。ぴったり34万円を用意できればいいのではなく、支払った翌朝にも現金が残るかを見たかったからです。ここで作る予備費は、何か月分が正解というテストではありません。転職の面談、帰省、体調不良など、今の自分に起こりそうな一つを想像して、口座に残したい額を決めます。
NISAの枠を埋めることを、今月の目標にしない
葵さんは「年間枠が余るともったいない」という言葉を何度も見ました。けれど、NISAの枠は、その年に使わなかったからといって生活を壊してまで埋める理由にはなりません。制度上の枠と、毎月の自分の余白は別の数字です。つみたて投資枠と成長投資枠を合わせて使えることも、長く非課税で持てることも、引っ越し費用の支払日を動かしてはくれません。
反対に、予定資金を普通預金に置いたからといって、投資に向いていないと決める必要もありません。葵さんが分けたかったのは「投資する人」と「現金を持つ人」ではなく、来月使う自分と、何年か先に使う自分です。口座が二つでも、封筒が三つでもかまいません。使う時期と支払日が見える形にして、投資へ回すお金だけを最後に決めます。
7万円から2万円へ。やめるのではなく、順番を変えた
契約更新の面談まであと12日。収入が変わる可能性もある。葵さんは、積立額を3か月だけ7万円から2万円へ下げることにした。差額の5万円は、引越しと普通預金へ回す。引越し後の家賃と生活費が見えた3か月後を、見直し日にした。
友人の結婚式には「出席」で返信した。投資を諦めたわけでも、今を優先して使い切ることにしたわけでもない。住まい、付き合い、投資の順番を、一度だけ並べ替えた。
引越しの日、NISAは売らなかった
数週間後、新しい部屋に段ボールを運び終えた葵さんは、床に座って温かいお茶を飲んだ。積立を減らした分と、使う予定だった現金で初期費用を払い、NISA口座は慌てて売らずに済んだ。
積立額を下げたことより、「戻す日を先に決めた」ことが効いた。新しい家賃と生活費が二度引き落とされた翌月、普通預金の残高を見て、2万円を続けるか3万円へ戻すかをもう一度考える。将来のためのお金と、今の自分を守るお金は、競争相手ではなかった。
三か月後、積立を戻す前に「暮らしが回った証拠」を見る
新居で二度目の家賃が引き落とされた土曜、葵さんは積立を7万円へ戻しませんでした。普通預金、次の三か月に決まっている支出、仕事の契約更新日を並べ、まずは3万円にするかを考えました。大きな額へ戻すことより、引っ越し後の生活費が自分の予想どおりだったかを知ることが先だったからです。積立を続けるなら、今の自分が苦しくないことも、長く続けるための条件になります。

葵さんが次の給料日までにする、五つの確認
- 引っ越しに使う金額と支払日を、見積書ではなく実際の引落予定で書く
- 普通預金だけで、その支払日と次の給料日を越えられるか確かめる
- 積立設定を変える場合は、いつの買付から反映されるか画面で確認する
- 売却を考える場合だけ、受渡日・出金日・値動きの可能性を先に確認する
- 生活費が二か月分見えた土曜に、積立を戻すか、同じ額を続けるかを決める
五つとも、一晩で決めるための項目ではありません。葵さんは一つ目と二つ目を日曜に終え、三つ目を月曜の昼休みに確かめました。数字を全部そろえてから不安が消えたのではなく、次に見る数字が一つになったことで、申込画面の前で固まらなくなりました。投資の判断は、勇気を出すためのものではなく、生活の予定を自分で読めるようにするためのものでもあります。
もし数字を入れても迷いが残るなら、積立額を大きく変える前に、予定支出の見積書と普通預金の残高を一緒に見直します。売る・続ける・減らすのどれを選んでも、その選択を翌月に説明できるよう、理由を一行だけ残します。「引っ越し後の家賃が見えるまで月2万円」「普通預金がこの額を超えたら再確認」のように、生活の言葉で書いておくと、相場の見出しに振り回されにくくなります。

売る前・積立額を変える前に確認すること
- 予定支出の金額と支払日
- 普通預金だけで、支払日までに間に合うか
- 積立設定の変更締切日と、反映される月
- 売却する場合の受渡日・出金可能日・値動き
- 積立を戻すか再検討する日
現行NISAは、つみたて投資枠が年間120万円、成長投資枠が年間240万円で併用できます。非課税保有期間は無期限、非課税保有限度額は合計1,800万円(うち成長投資枠は1,200万円)です。売却した商品の取得額分は翌年以降に再利用できますが、その年の年間投資枠に上乗せされるわけではありません。NISAは利益を非課税にする制度で、元本や運用成果を保証するものではありません。
制度の枠が大きくても、今月の家賃や予定支出より先に埋める必要はありません。自分の生活を守れる額で続けることが、結果として長く資産形成を続ける土台になります。葵さんは、次の季節の予定もまた書き足すつもりです。急がずに、給料日ごとに。
積立は、生活を小さくするためではなく、選べる未来を増やすために続けます。
NISAの基礎を本でも確認する
非課税の仕組みや積立の考え方を整理したあと、制度用語とリスクを自分のペースで復習したい人もいます。申込みや購入を急がず、発行日と目次を確認し、今回の説明で分からなかった範囲だけを補う一冊を選んでください。
