SATURDAY, 16:12 — HER MOTHER’S HOUSE
母の家の押し入れから、紺色の古い通帳が出てきた。最後の残高は3万8,412円。森川直美さん(仮)、当時28歳。数字は頼りないのに、そのころの自分は老後をほとんど怖がっていなかった。
通帳を閉じると、数日前に同僚が言った「早期退職、受けるかもしれない」という声が戻ってきた。直美さんは52歳。地方都市の食品会社で経理をしている。住宅ローンは残り9年、貯蓄は780万円。母の通院を手伝うため、積立を止めた年もあった。
直美さん「20代から積み立てていたら、今ごろ違ったんでしょうね」
編集長「過去の直美さんへ請求書を送れればいいんだけどね」
橘「届かない請求書を書くより、今ある空欄を見つけましょう」
直美さん「足りない金額ではなく、空欄ですか?」
年代別の老後準備を、20代ならこの商品、50代ならこの金額という表にはしない。直美さんの28歳、39歳、52歳、そしてまだ来ていない63歳を順に開き、その年齢で分からなかったことと、今から確認できることをつなぎ直す。

28歳|貯蓄が少なかった。でも、最初に必要だったのは商品ではない
28歳の直美さんは、二度目の転職をしたばかりだった。引越し代、敷金、古い冷蔵庫の買替え。給料日前に通帳残高が5万円を切ることも珍しくない。
52歳の直美さんは「あのとき毎月1万円でも投資していれば」と考えた。橘は、古い通帳の前後をもう少し聞いた。
橘「急な歯の治療で、カードの分割払いを使ったのはいつですか」
直美さん「ちょうどそのころです。翌月は家賃も遅れそうでした」
橘「なら、あの年の優先は投資商品ではなく、次の故障や治療で借りなくてすむ現金でした」
20代・30代前半で確かめたいのは、金額の大きさより土台だ。転職や独立の前後で年金・健康保険の記録がつながっているか。高い利息の借入が残っていないか。数か月の生活を守る現金を、近い旅行代や投資資金と分けられているか。
加入記録、借入、急な支出へ使える現金を確認する。
まだ決めなくてよいこと
老後に買う金融商品を一つに決めること。
39歳|マンションを買った年、老後用の財布が消えた
39歳の春、直美さんは駅から徒歩12分の中古マンションを買った。鍵を受け取った日は、ひとりでケーキを買った。家賃の更新を気にしなくてよい安心と、自分の居場所を持った喜びは本物だった。
同じ年、母が膝を悪くした。通院の交通費、手すりの工事、実家へ通う高速代。「家族のことだから」と家計簿の分類を作らず、普通預金から払った。老後用、修繕用、母の支援用という三つの目的が、一つの残高へ溶けた。
直美さん「マンションがあるから、住居費は老後にゼロになると思っていました」
橘「ローンが終わっても、管理費、修繕積立金、固定資産税、室内設備の交換は残ります」
編集長「完済は、住居費の卒業式ではないんですね」
40代で大事なのは、老後だけを遠くに置かないことだ。住宅、親の支援、転職、学び直しなど、10年以内に使う可能性があるお金を先に分ける。その残りを老後用と呼べば、「貯蓄780万円が全部老後資金」という錯覚を防げる。
住まい、親の支援、10年以内の支出、老後資金を別の欄にする。
まだ決めなくてよいこと
相場が上がる前提で、将来不足をすべて埋めること。
52歳|「手遅れ」ではなく、四つの空欄があった

現在の直美さんの数字を、橘は一枚の紙へ並べた。
分かっている
- 52歳
- 貯蓄780万円
- 住宅ローン残り9年
- 毎月の生活費
まだ空欄
- 本人の年金見込額
- 退職金・企業年金
- 完済後も残る住居費
- 何歳まで、どんな働き方をしたいか
直美さん「足りないと決まったのではなく、まだ四つ分からないんですね」
橘「はい。リスクを上げて取り戻す前に、空欄を埋める方が先です」
50代は、商品選びを急ぐ年代ではなく、本人の数字を使える年代だ。勤務先には退職金と企業年金の確認方法を聞く。ねんきんネットで見込額を確認する。ローン返済予定表の最後だけでなく、完済後の管理費・修繕・税・設備交換を年額にする。
四つがそろったら、退職年齢を一つに固定せず、60歳、65歳、その後も短時間で働く案を分ける。資産運用で不足を埋める案だけでなく、運用益をゼロと置く案も残す。
年金、退職金、完済後住居費、働く期間の空欄を埋める。
まだ決めなくてよいこと
焦って運用リスクを上げ、過去の時間を取り戻そうとすること。
63歳|未来の直美さんへ、決定ではなく質問を残す
63歳の場面は予言ではない。52歳の直美さんが、11年後の自分へ書く短いメモだ。
ローンは終わりましたか。仕事は週に何日なら心地いいですか。年金を受け取り始める日は決めましたか。母のことだけでなく、自分の通院先と、困ったときに連絡する人を一枚にできましたか。
60代が近づいたら、「いくら増やすか」から「どう受け取り、どの口座から使い、誰と確認するか」へ焦点が移る。年金請求、健康保険、税、退職金の入金日は同じではない。退職日から最初の年金受取まで、毎月の支払いをどの口座でつなぐかをカレンダーへ置く。
受取時期、取り崩す口座、退職後一年の手続きと連絡先を具体化する。
まだ決めなくてよいこと
90歳まで一度も変えない完璧な計画を作ること。

年代を選ぶと、「今週の三つ」だけが残る

下の年代ノートでは、年齢だけで答えを出さない。年金を確認したか、退職金が分かるか、住居費の終わりが見えるか、近い将来の支出を分けたかを選ぶと、今週確認する三つを返す。金融商品は推薦しない。
YOUR NEXT THREE
今やること・まだ決めなくてよいこと
当てはまる状態を選ぶと、確認の順番を三つに絞ります。入力内容は保存・送信しません。
直美さんの「今週の三つ」
まだ決めなくてよいこと
直美さんが月曜にしたこと

月曜の午前10時18分、直美さんは経理の共有フォルダを閉じ、人事へ短いメッセージを送った。
直美さん「退職金と企業年金の見込額を確認したいのですが、どの資料を見ればよいでしょうか」
昼休みには、ねんきんネットへ入る予定を水曜の夜に入れた。帰宅後、管理費と修繕積立金、固定資産税、給湯器の交換を「ローン後も残る住居費」という一行へまとめた。
まだ不足額は出していない。それでも、52歳から始めることは三つに減った。
- 勤務先へ、退職金・企業年金の確認方法を聞く
- 本人の年金見込額を、働く期間を変えて保存する
- 住宅ローン完済後も残る住居費を年額にする
この数字がそろったら、3つの老後を並べる試算へ進む。自分だけで受取時期、住宅、資産の使い方を整理しにくいなら、その段階で相談先を比べればいい。相談料金、相談範囲、取扱商品の範囲、提案を断った後の連絡方法まで見てから予約する。
古い通帳は、捨てずに元の箱へ戻した。3万8,412円は、取り戻すべき失敗ではない。直美さんがその年を暮らし切った数字だ。
直美さんはまだ不足額を出していない。退職金と企業年金の確認方法を人事に聞き、年金見込額を働き方別に保存し、住居費を年額にまとめる三つを今週のうちに終えてから、63歳の自分への返事を考えることにした。
年代別の老後資金を本で確認する
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